さぶい。部屋に暖房がないから手がかじかむ。可燃物だらけなので部屋でストーブが焚けない。ファンヒーターなんて家にない。貧乏家庭はしょうがない。
今日も退社後、海沿いを散歩した。クリスマス近いし、みんな楽しそうだな。いいなぁ。俺はいつものベンチでうなだれて泣くだけ。
人生を楽しむための努力をするのも辛いし、人生を楽しむ=楽をしよう、逃げようとしている自分を省みるのも辛いが、さりとて辛いだけで閉塞した今も辛い。八方ふさがり人生。
俺が頑張らない事には俺の価値は向上しないが、俺の価値を決めるのは他人だから、頑張る方向性も俺が決めるんじゃなくて、周りの人の顔色をうかがいつつ、媚びて媚びていかないと、結局俺の頑張りは価値を産まないのだな、と思い始めて、なんだか何もかも馬鹿馬鹿しくなってきた。それとも、目をふさぎ耳を閉じ、自分の殻の中で自己満だけで生きていくのか。
人生はいつだって、どっちも辛いだけの究極の選択の連続だな。
俺の価値観が根底から歪んでいるような気がせんでもないが、というかどうもそうらしいのだが、他人の価値観、人生に対する態度が人間の精神性を高めケモノではなく知性を持って生まれてきた事に対する誠実な姿勢を持ってるとは到底思えない。
姫路のドキュソみたいな、獣性を体現したかのような馬鹿野郎どもは武部のいうとおり、サマワでも何でも送って、本当の獣性を教えてやれば良いのだ。何故姫路のドキュソのような阿呆どもが楽しく人生を送っているのか。奴等は姫路駐屯地の自衛官が狩り殺すべきである。
何が言いたいのかさっぱり分からなくなってきた。とにかく今日は泣いた。けっこう泣いた。
媚びて媚びて、といえば、男女関係こそ、最低の媚びて媚びての糞味噌関係だと思われるが、それでも楽しいのは何故だろう。本能か。それでいいのか。俺が一番否定したい事、一番他人を軽蔑する事でも、俺自身が楽しいと思った過去が厳然として存在する。自分が自分で何考えてるんだか分からなくなってきた。言えるのは、毎日が辛いという事と、歳を取るに従って、友達が俺を楽しませようと思ってくれていることさえ辛くなってきたということだ。何もかも、嫌で辛くて見たくもねえよ。ぶっこわれろ。何が何だか分からなくなって、涙が止まらなかった。そんな俺を避けて行った阿呆カップルは、確かに俺より程度が低くて、だが確かに俺より充実した人生を送り、俺なんかより遙かに大きい影響を社会に与えて行くのだろう。だとしたら、俺って何だ。練炭自殺のきっかけって、こんな混乱なのかな。やらねぇけど。どうせ死ぬなら、末期ガンで同室の患者刺したオッサン並のことはして死にたい。そう思ってるウチはまだ大丈夫、それだけに縋って生きてる。
ああ、年末は毎年、山下達郎がきっと君はこなくて、大晦日は春よ遠き春よ、の2HITコンボだなあチクショウ。