読書

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く 希望格差社会 山田昌弘筑摩書房
会社の図書館に入っていたのでナナメ読みした。パラサイト・シングルの名付け親が書いているとのこと。文章は平易だったが、提言が少ない。学者の分析書という感じなので、読んでも暗いイメージを抱くばかりで、前向きに生きるヒントには乏しい。これでいいのか、学者先生。

内容は分かりやすかったが、論旨は???な感じ。
なんつーか、希望格差なんていうのは別に今始まったことでなく、きっと大正とか昭和初期のほうが実際は酷かったに違いない。ほんとにカツカツで生きてた人がウヨウヨしてたんだし。
今現在起こっているのは、平均的な日本人の抱く将来像が、現実の平均的な所得・環境よりも高くなってしまったために起きるミスマッチの顕在化なんじゃないの。まぁ、結果的に希望のもてる人・もてない人に別れるけれど、希望の有無が問題なのではなく、希望のミスマッチにこそ問題があるように思う。もしかしたらそういう論旨なのかもしれないが、俺にはそうは読めなかった。
まー、俺らの親世代が、能力も創意工夫も無くとも、真面目に会社に行ってさえすれば収入が上がるハッピーな世代だったから、そのイメージのままいくと希望格差ということになるのかもしれんが、そもそも無能力な人間が体を動かしているだけで収入が右肩上がりに上がるということ自体が異常だというコンセンサスを日本人が共有しないとしょうがないのかもしれないな。不要な人間というのは社会に存在するのだ、という認識の共有というか。それはとても不幸なことだと思うけれど。
戦前、貧富の格差からくる閉塞感が国家を極端な方向に走らせた反省から、戦後均質な教育を提供して、国民をみな同じ境遇に置くことで、平和ボケのある意味理想的な国家を維持してきたわけだが、この本を読むと、既に方向性は変わっているようだ。
格差からくる閉塞感と怨念は、高い確率で秩序を破壊し、同時に大多数の人間を巻き込んで不幸にするというのは、歴史が教えるとおり。俺は平和ボケした日本を評価していたほうだから、こういうのを読むと、暗い気持ちになるな。
平凡な無能力者が不満を持たずに暮らせる社会っつーのは、きれい事なのかなぁ。自分の子供に「しょせん屑星」って教えないといけない社会は異常だと思うんですが。そんなもののために人の歴史はあるのかねぇ。切ないな。